第7号

   今年の4月に単身生活12年、麗しの国台湾での生活も通算8年半になります。なんとなく台湾と縁があると言うか、運命に導かれているというか。約32年前に仕事で台湾へ来るときに、父の紹介で先の副将軍であった何応欽氏と面会する機会がありました。

その後12年前に駐在員として台北での単身生活の始まりです。仕事の面では事務・財務管理などが手作業でされていて、言葉の問題もありますが、内容を把握するのに苦労しました。その時に、SE(システムエンジニアリング)などの経験を生かして、コンピューター(PC)を有効利用できないか思考錯誤していたころ、光華商場でPCに詳しい人と知合い、PC知識(インターネット、ハード、言語など)に悩んでいる駐在員がいるということ知り、彼と二人で台湾電脳倶楽部を主宰して、台湾、日本人含めて30人くらいの参加があり、月1回のペースでPCの講習会を開いていました。この講習会で自分自身のPC知識の向上と友人も沢山でき、現在ここ台湾で仕事ができるのも、このときの友人の紹介がきっかけでした。

再び6年前に台湾へ来て、佐川急便の国際プロジェクトに籍をおき、台湾の現地運輸会社へ、特に財務管理・所別収支計画書・コンピューターと財務の連携などの指導をしていました。余暇の面では、単身で寂しい生活をしているのではないかと、最初のうちは、会社の上司は林森北路の飲み屋(日本でいえば新宿の歌舞伎町のような繁華街)へ、部下や友人はハイキングやバーベーキューに誘ってくれていましたが、月日が経つにつれ、回数は減っていきました。

いかに自分自身で余暇を楽しむかを見つけないといけないと思っていた時に、日本人学校のPTAバトミントンサークルへの誘いがあり、運動不足気味でしたので、喜んで参加させていただきました。その時の友人が4年前に学校の仕事を紹介してくれました。まさか日本人学校で仕事をするとは夢にも思っていませんでしたが、来てビックリの連続、事務処理はすべて手作業、別の次元へタイムスリップしたような気がしました。

 現在の余暇の楽しみは、2年前から休日には、中山運動中心に行き水泳、6カ月前からバトミントン、月2回のボーリングに行っています。また映画が大好きですので見たい映画は必ず見ています。見逃した映画は、安い映画館(2本立)で見ています(語学の勉強にもなりますからね)。ただ涙もろいので感動すると涙がにじみ溢れ出すことがあります。あとは、友人と食事をしたり、パソコン雑誌などを読んだり、skypeなどでチャットとかお話、locationfreeを利用してリアルタイムに日本のテレビ番組を観賞しています。

ここ4年の旧正月の大晦日は台湾の友人宅で友人の家族とともに食事を楽しみ、また旧正月の3日間くらいは高雄の友人宅へ遊びに行ったりして、食えや飲めやの宴で楽しい旧正月を過ごしています。その時に、台湾には、家族の絆とか、人としての暖かい気持ちとか、日本が失いつつある何かをいつも感じます。それなりに余暇を楽しんでいますが、時々なぜここで一人、喧嘩する相手もなく生活しているのかなと思うこともあります。

 こうして気ままに仕事ができるのも家族、特に学生寮時代に合同ハイキングで知合って、恋に落ちて、ゴールインできた愛妻に感謝しています。

 人それぞれの思い、考え方は違うと思いますが、私の現在の三種の神器は、言語・PC・財務管理と思っております。こうして台湾で生活できるのも自分自身の性格的な素質(どちらかというと+思考型)と友人や家族のおかげと感謝しています。

 

               台北日本人学校 事務長  藤墳 

 

 

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